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サルバドール・ダリ

レオナルド・ダ・ヴィンチ モネ ルノアール ピカソ ゴッホ ゴーギャン

S a l v a d o r   D a l í​​​​​​​​​​​​​​​​​​​

サルバドー・ドメネク・ファリプ・ジャシン・ダリ・イ・ドメネク

Salvador Domènec Felip Jacint Dalí i Domènech

1904年5月11日 - 1989年1月23日

サルバドール・ダリ(Salvador Dalí)は1904年5月11日、スペインのカタルーニャ地方フィゲーラスで裕福な公証人の息子として生まれた。





1922年、マドリードのサンフェルナンド美術学校に入学し、フェデリコ・ガルシーア・ロルカ(詩人)、ルイス・ブニュエル(映画監督)と知りあい、1928年にシュルレアリスムの代表的映画作品アンダルシアの犬を共同制作。


1927年、パリに赴き、パブロ・ピカソ、トリスタン・ツァラ、ポール・エリュアール、ルイ・アラゴン、アンドレ・ブルトンら、シュルレアリスムの中心人物たちと面識を得る。


1929年夏、後にダリ夫人となるガラ・エリュアールと出会った。ダリとガラは強く惹かれ合い、1934年に結婚。


1929年に正式にシュルレアリスト・グループに参加。





ダリは1938年にグループから除名されたが、その理由は彼の「ファシスト的思想」が、アンドレ・ブルトンの逆鱗に触れたからであった。

しかし彼の人気は非常に高かったため、グループを除名されたあとも国際シュールレアリスム展などには必ず招待された。
ダリは自分の制作方法を「偏執狂的批判的方法(Paranoiac Critic)」と称し、写実的描法を用いながら、多重イメージなどを駆使して夢のような風景画を描いた。

第二次世界大戦後はカトリックに帰依し、ガラを聖母に見立てた宗教画を連作した。ガラはダリのミューズであり、支配者であり、またマネージャーであった。


第二次世界大戦中は戦禍を避けてアメリカ合衆国に移住したが、1948年にスペインに帰国。ポルト・リガトに居を定めて制作活動を行った。



1969年にダリはチュッパチャップスのデザインを考案する。チュッパチャプスの考案者であるアンリック・バルナット(Enric Bernat)は、ロゴをカタルーニャの芸術家であるサルバドール・ダリに依頼した。依頼をされたダリは、その場でナプキンにデージー(ヒナギク)をあしらったデザイン画を描いた。そのデザイン画をバルナットは大変気に入り、現在のロゴの原型とした。



1973年、69歳で、ダリは新しいプロジェクトを始めた。

それは彫刻であった。二次元から始まり、その中で遠近法を越えて厚みを与えるための立体画法の試みがなされてきた後、三次元表現を可能にした究極の芸術が彫刻なのである。

そしてダリは、彼の彫刻家としての才能を信じた美術商のイシドロ・クロットと契約を結ぶこととした。

老練な芸術家の技、失われた夢、時には優しさ、時には生々しさなど、ダリスタイルの彫刻を表現するために、ある種のロウによるオリジナルコレクションを製作することで、両者は合意した。

1980年までに53体の彫刻作品が製作された。


1982年にガラが死去すると、「自分の人生の舵を失った」と激しく落ち込み、ジローナのプボル城に引きこもった。



1989年にフィゲラスのダリ劇場美術館に隣接するガラテアの塔で、心不全により死去。85歳没。

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